R A C I N G
主な参戦記を綴ってみました。 ※下へ行くほど古い記事です。
◆2013鈴鹿クラブマン300km耐久参戦
7/7鈴鹿クラブマンレース耐久レース、略して「マン耐」に、京都の1stさんのおかげで4年ぶりに鈴鹿公式レースへの参戦となりました。
練習ではブランクを感じる走りしかできず、今ひとつ不完全燃焼状態に終わっていたのが、決勝がスタートしたとたんに人が変わったか
のような走りを無意識にしてしまうあり様に自分でも驚いてしまいました。
どうやら競り合いが好きなんだな、やっぱ。
特に今回のマン耐は同クラスの車両が多数エントリーしており、抜きつ抜かれつがかつてないくらいの展開になり、さながら20年前の
知る人ぞ知るフォーミュラフォード的な雰囲気があり思わず夢中になっていたのでした。
2年ぶりの公式レース、そして4年ぶりの鈴鹿にしては上出来かと^^自己満大事!
京都1stの皆さん、今回誘って頂いて有難うございましたw
(でも車載で詳細チェックすると、まだまだ攻め切れていなかったな・・)
◆2009鈴鹿クラブマン300km耐久参戦◆
鈴鹿クラブマンレースに、レギュラー参戦されているホウシュウさんより暖かいお言葉でお誘い頂き、久々の助っ人参戦となりました。
去年、1戦だけ参戦した時のご縁が、こんなところで生かされるんですね。
前回は、とても脅威を感じたホウシュウさんなので、これは2人で上位を狙えると思い快諾しました。
というか、誘って頂いた事にとっても感謝です。
レースウィークは、少し余裕の金曜日(練習日)。
しかし土曜日の予選は大差をつけられ2番手、昨日とは打って変わってテンションずん底に・・
(PWCミーティングの方々、抜け出してゴメンね^^;)罰ですかね?
途方にくれるほどの差で、優勝の夢がマジ遠のきましたが、それでも2人は諦めなかった。
ドライバーチェンジの練習や工夫、ピットインのタイミングをとにかく打ち合わせして・・
決勝はローリングスタート。
クラストップのAB選手の頭脳プレーにすっかりハメられまして、1コーナーで3番手に落ちました(焦;;
いやぁ〜、巧みな技でした。
ほどなく2番手に返り咲き、トップ差を詰めていく・・のもつかの間、ジリジリ離れて・・
そんなある周で「おおッ!!」 ・・・んで、なんやかやで優勝できました^^
* 詳しくはこちらもご覧下さい→ http://air.ap.teacup.com/hoshu/
そこで感じたのは、まんpower。 (マンパワー ではありませんか?)
耐久レースって、やっぱりいろんな人たちの協力や情熱があってこそ、良い結果が得られるんだなと。
そしてこの不景気に四苦八苦しながらも、レースが好きな人たちが集まって成り立っている鈴鹿クラブマンの雰囲気が良かった。
競技長のキャラも良かった^^;
というか、久しぶりに参戦したんですが、たくさんの人が笑顔で言葉をかけてくれたことも嬉しかったです。
小学6年生の頃からお付き合いのある? 津々見さんやCG編集長ともお会いできたり。
応援に来て頂いた皆さん、遠くから応援して頂いた方々、とっても有り難うございました。
臨時雇いの監督、その社長サン、そして、誘って頂かなかったらこんな経験も出来なかったホウシュウさんに感謝ですぅ!!
久々に濃い〜3日間でした^^
〜2005年の参戦記〜
スーパー耐久 十勝24H
年1回の助っ人役が今年もやってきました。
Yしだ氏: 「もう決まってるから」
しぶ: 「え〜っ!!マジ?!」
去年と似たようなやりとりが。
年1回、つまり丸1年レースをしていない。
そんなチームの英断に、決して小さくは無い驚きと戸惑いと昂揚を感じたのは、5月の連休明け頃だったろうか。
なぜ英断と思ってしまうのか? 勝てるチームが実戦不足のドライバーを選択すべきではないだろう。
しかも正直なところ、最近F1以外はレースを見てない。
しぶ:「今年こそ足を引っ張らせて頂きます」ぺこり〜
冗談でも皆、だめだよ〜うという言葉を返してきます。 やっぱ気持ちのどこかに不安があるのです。
それは俺も同じ事、何しろ一番の不安は24Hに体力・集中力・メンタルが持つのかと。
24Hではスプリントのような絶対的な速さより、クルマをいたわり安定して速く走らせるテクが求められるため、
究極のラップタイムは早急には求められる事はない。
しかし長丁場の為、走行不足で衰えた筋肉をイヤというほど痛めつけるだろう。特に首。
よって事前に首は特に鍛えた。 ブリッジでゴリゴリと。
そして迎えた十勝入り、走行初日。
やっぱり5周のみの練習で「ハイ練習終わり〜明日よろしく〜」
タイム的には問題なかったようだが、シフトチェンジが遅い。戸惑っている。少々情けなかった。
そして本チャン1回目(ワンクールとかワンスティントとか言うそうです)
偶然なほどの超安定したラップを刻め、基本的には全く問題なかったのですが、いまひとつタイムに余裕が無い。
そしてやはり、来た!首が、というより何故かそれに伴う激しい頭痛が。
(ちなみに一人あたり1回、2時間15分ほど走ります。距離にして約300キロほどでしょうか。)
実際の横Gがかかると、筋トレでは鍛えられない所に来た。
頭痛は横Gによって血液がかたより、部分的に酸欠になっているのか?
・・おいおい、あと2回持つのか〜?なんだよ耐久って結構過酷じゃないか〜。なんかみんな凄い。・・
仮眠室の中で、うわごとのようにそんな思いが頭の中をさまよっていました。
ところが、です。いつのまにか寝汗をかいたのか体が熱い。
気がつくとあれほどヒドかった頭痛はどこへやら、しかも忘れかけていた走りのイメージも蘇ってきて、
AM3:50からの2回目は走りも体力も全てが復活していた。
― 何なんだこの感覚は?!―
何というか、追い詰められた人間の、自然治癒力とか無意識の奥にある記憶とかが引っ張り出されてきたような現象でした。
2回目の走行は、細部に行き渡るコントロールで自信を持ってMつだ君に繋げる事が出来たのです。
(ちょっとオーバーかな?)
21時間経過あたりだったか、同じインプの63号車にハブが破損するという重大なトラブルが発生。
2号車にも懸念された。爆弾を抱えている状況だ。
しかしそれも何とか持ちこたえてくれ、NEWマスクのフジツボインプはものすごい安定感と速さで24Hを走りきってしまったのです。
結果 クラス優勝・総合2位
2年連続優勝、そして何より強靭なポルシェを相手にした総合2位は、とても誇らしい。
そんな結果をゲットしたチームの一員でいられた事、そして皆さんの応援があった事に感謝しつつ、十勝を後にしました。
もう来年は、総合優勝しかないね!
〜2004年の参戦記〜
あまりにも突然なmarushibuの4輪界への復活
第5戦 スーパー耐久 十勝24H
実は前回のMINE・エボが決まる前に声はかかっていたのです。
チーム: 「候補に上がってるから」
しぶ: 「え〜!マジ?!」
なぜならもう丸2年も4輪レースには出ていなかったから。
2輪ライダーとしての誇りを持とうかと言う時に・・(嘘)
しぶ: 「やる以上は優勝しかないですね」
と言う言葉の裏で「大丈夫か?オレで?」と思わざるをえなかった。
プローバも思い切った事を・・・
しかしやはり頼まれるとやる気になる性分ですから。
そしていよいよ迎えた初日、たった5周の練習で
チーム: 「はいオッケ〜! 練習終わり〜」
走りは荒かったが何とか他の3人と似たようなタイムだし、
決勝はもっと慣れるでしょう。ま、良いか。
しかしここでエボとインプの違いを感じることに。なるほどね〜。
チームは自チームだけでなく#86hpiのメンバーも含め、とても雰囲気が良く、
練習も早く切り上げる事で、全体的に余裕と程よい緊張感が漂っていた。
エースのYしだ選手は「勝てそうな気がする」と。もちろん皆がそうあってほしいと密かに思うもの。
こういう時、あまり口に出しすぎると逃げていくような気がするんですよね。
結果的にYしだ選手の予言は的中し、チームのクールな戦略や、
ドライバー全員が車をいたわりつつ順調に周回をこなし、
問題児的な私自身も些細なのはありましたが大きなトラブルを起こす事もなく済み、
インプのS耐挑戦始まって以来、初の十勝24Hクラス優勝をゲット。
総合でも4位と言う素晴らしい結果を得る事が出来ました。
過去このレースでの2クラスはトラブルが多く、燃費もNAに比べやや劣るため、
総合順位ではなかなか上位は難しいので、4位はとても素晴らしいのです。
フィニッシュ時はというと、普段憎たらしい事ばかり言ってるいい大人達が、
「うるうる」している様をまのあたりにしたのです。
きっと苦労の数だけ目を潤ませた事でしょう。
“結果オーライ”これで全てハッピーエンドでした。
あとはシリーズチャンピオンに向けて、今後もこの調子で行って欲しいものです。
私自身3年ぶりの表彰台の中央に立つ事が出来、やっぱレースは勝たないと!
そう思う1戦でしたが、これも素晴らしいチームの一員に呼んで頂いたおかげと、
モータースポーツが大好きな皆さんの応援があってこそ実現した事だと思います。
ちなみにこのレースで使ったガス代は46万円分だそうです。すごいですね。 リザルト
そしてチーム解散後の翌日私は、自分の思っている理想の北海道のイメージを探しに旅に出たのです。
(風の便りではチームクルーは夜の札幌で如何わしい遊びに講じたらしい・・)
屈斜路湖・硫黄山・摩周湖・知床・野付半島・中標津・釧路と激走700K、
信号がほとんど無いまっすぐな道ばかりで、とても気持ちの良いドライブでした。
「北海道は広か〜」思わず九州弁で叫んでいたのです。
次回のネタは果たしてあるのか?こうご期待!?
〜2003年の参戦記〜
marushibu心機一転で2003年は公言どうり2輪界にデビュー!
第1戦 夏の風物詩鈴鹿8耐シリーズ
・・・の一つsolo2時間耐久
早い話がsoloという原チャリのワンメイク2時間耐久なんです。
去年のウィナーと2人で組みまして、くじ引きでゲットした予選グリッドはポールポジション&ゼッケン1。
抜きつ抜かれつでトップでフィニッシュ!。
何と言う幸運か!2輪のデビューレースをなんとポールトゥフィニッシュで飾ってしまいました!
第2戦 FUN&RUN
東コースで行われるナンバーつきの車両で参加できる2輪レース。
250〜400ccクラスで元国際A級ライダーも出場している中、予選5番手からホールショットをゲット!
何とか1周はトップを快走でき、つかの間のご満悦に。
結果はというとその後の激しい追い下がりで予選と同じ5位。
初の本コースで一瞬だったけどトップをキープできたので良しとしときました。
〜2002年の参戦記〜
そんなmarushibuも残念な事に2002年はこの1戦しか参戦しませんでした。 (T
T)
第5戦 スーパー耐久十勝24時間
24H耐も無事完走、終了し、2位と言う結果で終わりました。
終盤まで1位がもう少しで手の届くところに有っただけに、
気分はただの完走と同じようなもので、非常に悔しい結果でした。
8ヶ月ぶりのeifelインプはすばらしいコーナーリングマシンに仕上がっていて、
ライントレースがしやすく、おかげで私もフリー走行の1周目からその感覚を
取り戻すことが出来、チームの足を引っ張らずにすみました。
eifelインプは予選、夜間フリー走行を通して速いタイムでラップが非常に安定し、
大師匠S氏からはタイムを押さえろの指示が出るほどで、
言葉にしなくても期待と自信がチームを包み、全体的に良い雰囲気でした、
ドライブシャフトがイクまでは…。
20時間が経過し、プーマのペースが上がらずチームに希望と笑みが戻ってきたのも、
リアのドライブシャフトがイクまでの事。
乗ってた私は皆の様子がやや落ち着いているように見え、
まだ望みがあるのかと思いきや“2位キープで”と聞かされたときは ( ̄∇ ̄; エー
ラップタイムも元気がなくなってしまいました。
世界の新井選手はと言うと、よく笑うとても気さくな人で、
走りの方も適応能力がすばらしくS耐マシンにもすぐに合わせてくる所は流石でしたが、
WRCマシンよりアンダーパワーで、しかもかなりペースを押さえなければならない24耐では、
思い切り走らせる事が出来ず物足らなかった様でした。
最後のドライバーチェンジで多くのカメラマンに見送られていく様を見た私は、
“ああ、スバルの神様が行く…”ふとそんな気持ちで見ていたのでした。
野に咲く花が満開で、見た事無いよな虫踊る北海道でした。
〜2001年の参戦記〜
そして、今年もmarushibuが参戦するスーパー耐久シリーズ2001が開幕になりました。
第8戦 スーパー耐久富士スピードウェイ
<決勝>
練習走行からエンジンのトラブルに見舞われ、予選もタイム計測出来ずに、最後尾スタートとなった。
今シーズンの中で、最悪のスタートだ。1台でも多く前に進まなければ!!!!
秋のすがすがしい空気の中、スタートの幕が切って落とされた。1周ごとに順位を大きく上げるも、4周目のヘアピン立ち上がりで、またしてもエンジンから異音。その瞬間今年一年の長い戦いにピリオドが打たれたのでした。
応援にしてくれた皆さんありがとうございました。今年は残念な結果となりましたが、来年も応援よろしくお願いします。
第7戦 スーパー耐久スポーツランドSUGO
<決勝>
今回は、金曜日に行われたフリー走行ではセミウェット路面で、何と総合トップタイム(たぶん・・・/フリー走行では手元のストップウォッチで計測するため)でぶっちぎり!!(^o^)
好調な出だし。予選でもmarushibuたった1回のアタックでそこその高タイムを決めるが、敵アナドレない。100分の1秒に5台もヒシメク激戦となった。最近のS耐は、クラスを超えた接近戦になって来ている。
そんな状況で、決勝が行われた。スタートドライバーは今回もmarushibu。ブルーシグナルと共に、何台を抜き、その後終始安定したペースで順位を少しずつ上げて行った。
やはり、気温が低くなる季節と共に、インタークーラーも冷え、エンジンパワー、ブレーキング共に上向きになる。いかにタイヤを上手く使い、燃費を良くし、スムーズな走りに徹するか。そして今度こそノートラブル、完走を目指す。
順位はクラス2位で安定したまま、marushibuからプローバの走る営業マン吉田氏へドライバー交代された。
ピットインしたため順位はクラス4位となるが安定したペースで力走を続ける。しかし、5位のランサーがジワリ、ジワイと追い上げて来た。吉田氏ピーンチ!!!その後も2台で激走を続けるが、5位のランサーと接触、スピン。
敵はタイヤが外れ、大幅なタイムロスとなった。ピンチに強い吉田氏。ギリギリセーフの4位をキープ。何とか今回はノートラブル完走を達成。
しかし、ランサーとの差は今だ歴然としたものがあることも節に思うmarushibuであった。
第6戦 スーパー耐久TIサーキット英田
<決勝>
曇りなのに真夏に戻った様な暑い決勝日となった。暑いレースはインプレッサには不利。アルテッツァやS2000にも予選では、負けてしまう程だった。
この決勝では、NA勢を追いかけつつも、最低目標はノートラブルで完走だ。
決勝日は朝はフリー走行が行われる。しかし、走行前の点検で燃料タンクからのガソリン漏れを発見!!
ラバーの合わせ目がはがれていた事が原因のだった様だ。仕方なく修理のためにフリー走行をキャンセルすることとなった。
何とか燃料タンクも修復した午後1時いよいよ決勝レースのスタート。
今回のレース、プーマランサーが優勝してインプレッサが5位以下ならばプーマランサー
のシリーズ優勝が決まってしまう大事な1戦。頑張らねば・・・
スタートドライバーはmarushibu。ローリングスタートがきられる。1週目にはクラス4位と好調なスタート、2週目には12番ランサーがインタークラーホースが抜けピットイン、コースに復帰するもペースが上がらない。インプレッサもドライバーも歯を食いしばって暑い中ラップを重ねる。
その後クラス5位で走行していたインプレッサにも真夏の様な気温が災いし、ブレーキが不調でラップが上がらない苦しい走行を続けていた。しかも、又してもガソリンの臭いが充満。「クッサー、目イター」それでも大事な1戦。頑張って走るmarushibu。35ラップではクラス6位、各車がルーティーンのピットインを行いはじめた45ラップ目には総合11位クラス3位を走行。しかし、このころからオフィシャルに後ろから水の様なものが漏れているという報告、様子を見ていたが53ラップ目にピットイン、点検とmarushibuから清水氏にドライバー交代。
再びコースに復帰した。燃料タンクの点検で7分間作業のために停止していために順位も大きく交代、ためた貯金も吐き出してしまった。
交代した清水も気温も上がり暑い中、順調にラップを刻む。しかしインプレッサは完調になったわけではなかった。やはり燃料タンクの問題は深く応急修理では直るすべが無く燃料漏れを起こしていた。69ラップで再度ピットイン修理を試みるもキズ口が大きくこれ以上は火災のおそれから走行を断念、リタイヤとなりました。
インプレッサがリタイヤしプーマランサーがクラス優勝したのでシリーズチャンピオンを決定してしまった。
あ〜あ(T T)
第5戦 スーパー耐久 十勝24時間
<決勝>
スタートドライバーはmarushibu、毎年恒例の24時間耐久レース。先は長い。いつものレースよりかなりブレーキ、ミッション、エンジンを労わりつつ、ある程度のラップタイムは必要。何せ、ノートラブルが理想。
しかし、今回の十勝はその期待を見事に裏切りまくられ、トラブル続出。メカニックさん達にはあまりにもコクな状況となった。スペアパーツを使いきってのギリギリのゴールでクラス2位となった。今回のレースは長丁場と言うこともあって、2クラス全チームでトラブルが多く見られ、とのチームも完走がやっと。と言う状況だった。恐るべし耐久レース。
第4戦 スーパー耐久 もてぎ500km
<決勝>
午前中から一日中蒸し暑い日となりました。
ピットウォークにレース観戦と観客の皆様も汗ばむ中、いつもの日曜日なら昼メシ食べて昼寝したい様な天気なのに、ランサー勢に囲まれてスタートするのはちょっとヤだナ〜な心境。
しかし、グリーンランプの点灯と同時にレーサー魂炸裂!!
1台を除き、ランサー勢を押さえ込むオープニングラップ。
が、長丁場の耐久レース。ムリはいけません。結局3台のランサーに抜かれクラス4位をキープ。
そのままにらみ合いの状態が続くも、ブレーキトラブル発生、ブレーキペダルがクラッチペダルのようになり、かなり恐ろしい状態。
トラブルを無線でピットに報告するも、”そのままキープして”との酷なお返事。結局このトラブルが原因で、長いピット作業になり、師匠のドライバーS氏の怒涛の追い上げも及ばず、勝負権を失ってしまいました。
結果クラス 6位、総合 15位でした。
隊長様を始め、応援してくださった方々、終盤の流されそうな大雨のなか、大変お疲れ様です。
これからも応援よろしくお願いします。
(marushibu レポート)
第3戦 スーパー耐久 SUZUKA 300miles
<決勝>
marushibuのホームグラウンド。鈴鹿です。今年から新しいコースになって向かえる鈴鹿戦となりました。
marushibuも地元鈴鹿と言うことで、かなり気合が入っています。
前日の予選結果は、総合9位といつもと同じ状況です。これで、天気が「雨」ならば・・・とこれもいつもの様にチーム全員が願います。
しかし、今回も天気はPカン。朝から暑い一日となりました。
14:00決勝の幕が切って落とされました。スタートドライバーは、清水和夫氏。2.24〜25秒代と順調に走行。一方プーマランサーは2.22秒〜23秒代とこちらもまずまずのラップタイムです。
しかし、インプレッサには刻一刻と黒い影が・・・
14週目に130Rでタイヤが・・・フロント右タイヤがバースト!!!しかし、すぐにピットにもどれず、そのまま1週走ってしまいます。その後、ようやくピットイン。バーストしたタイヤはタイヤの角から大きく裂け、まるでタイヤがリムから外れた様な状態になっていました。(130Rでバーストすると怖いもんだな〜/清水氏談)
ここで、止む無くタイヤ交換し、再びコースインします。予想外のピットインのお陰で29位まで順位を落としてしまいました。
その後、26位まで順位を戻し順調の走行しているかの様に見えたインプレッサでしたが、31週目にエンジンの不調の無線が清水氏より入り、再びピットインします。
そこで、marushibuとドライバー交代かと思われましたが、エンジンルーム内がオイルまみれになっていて走行不可能となり、リタイヤとなりました。
marushibu撮影のSUZUKA、スーパー耐久の裏側ショット!!
チーム関係者ならではの視点かな???
第2戦 仙台ハイランド スーパー耐久レース
<決勝>
今回のレースは9番手スタートとなりました。
marushibuのドライブ中31周目でエンジンがストールしてしまい、セルでピットに戻ります。
バッテリー、ダイナモ、燃料ポンプのヒューズを交換後、清水氏にドライバー交代してコースに復帰します。この時点で総合トップに12ラップの遅れを取ることになりました。
しかしこのピットでの作業でも問題の解決はしておらず復帰してから15周目再度ピットインすることとなります。
今度はヒューズのみの交換で再びコースに復帰。
この15週目を3回繰り返し83周のレースを終了しました。
結果、総合27位クラス6位でした。
今回のレースは上記のトラブルに見舞われ今ひとつの結果となりました。
第1戦 MINEスーパー耐久500レース
<決勝>
総合9位、クラス5位で9番手からのスタートとなりました。
雨にメッポウ強いインプレッサ。毎回心配するのが天気。チーム全員が口を揃えて言うのが「雨降らないかな〜」
そんな声も虚しく、風は冷たいものの陽が差す良い天気となってしまいました。
午前中のフリー走行、新型インプレッサは快調に走りプーマランサー、オガワランサーに続くクラス3位のタイムを出し総合でも5位という結果に決勝レースに希望をつなぎました。
いよいよ12:25分フォーメーションラップが開始されます。
今回スタートドライバーを担当するのは清水和夫氏、フリー走行の走りを期待すれば、前を走るチームを1台でも早くパスしていかなければならない。
総合9番手からグリーンランプでスタートを切った清水氏は1コーナーで6番手とポジションをアップ。
その後1台をパスし朝のフリー走行と同じ総合5位、クラス3位となりました。
プーマランサーに徐々に差を広げられ、目の前のオガワランサーをパスしなければならない状況になります。
この2台のバトルは20周以上にわたり、コーナーで詰めるインプレッサ、ストレートで逃げるランサーとスタンドを沸かせました。
最終的にポジションを死守出来ず清水氏にパスされます。
結果的にオガワランサーはタービンブローでリタイヤしてしまいました。
また、40周過ぎプーマランサーがピットイン、ボンネットを開けてオイルを補充。
このタイミングにインプレッサが総合3位クラストップに。
ピットアウトしたプーマランサーやはりトラブルを抱えたか?ペースが上がりません。
71周目にピットインしたインプレッサ、ルーティーンの給油、タイヤ交換を行いドライバーも清水氏からmarushibuに交代、ピットのタイミングでプーマランサーが前に出ます。
しかし、プーマランサーも90周過ぎにピットイン、これでクラス1位に復帰。
スカイラインの1台はトラブルでリタイヤしているために、この時点で総合2位クラス1位とりました。
107周目、トップのスカイラインが緊急ピットイン、なんとハブ交換を行って10分の作業。
108周目にはインプレッサがランサーを従え総合1位に躍り出た。
打倒スカイラインを豪語するランサー、インプレッサにプレシャーを掛けラップを上げ追って来ます。
125周目ストレートでランサーに交わされ1コーナー、インプレッサはイン側を突き1位を死守、126周目やはりストレートでランサーに交わされ1コーナー、今度はアウト側からランサーを再度抜き返し1位を守ります。
しかし、無理が祟ったのか127周プーマランサーのエンジンが音を上げそのままリタイヤとなります。
これで総合1位?と、思いきやランサーの後にスカイラインが控えているのです。
しかしこの時点でクラス2は6台中5台がリタイヤしている状況、リタイヤすればポイントは0で
この1戦のポイントは大きい結果になるのです。
137周2回目のピットイン、チェッカーまでの分を給油、これでスカイラインが総合でトップとなり、インプレッサは総合2位、クラス1位となりました。
155周のレースはこのままチェッカーとなりました。
GC8過去3年間のレース活動最高成績2位に対して新型インプレッサはデビュー戦で優勝したことになります。
これが、2000年にmarushibuが乗っていた。「アイフェイル DUNLOP インプレッサ」です。